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【明日への扉】沖縄本土復帰50年 〜 受け継がれる技 託される想い 〜

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太陽がふり注ぎ、海がきらめく沖縄。この美しい島には、決して忘れてはならない歴史がある。

太平洋戦争末期、沖縄は住民を巻き込む激しい地上戦の舞台となった。敗戦後はアメリカの統治下に置かれることとなり、沖縄県民はパスポートがなければ本土へ行けなくなった。

日本とアメリカの狭間に揺れた沖縄が、ついに本土復帰を果たしたのは1972年5月15日。時は過ぎ、2022年5月15日には本土復帰から50年を迎える。

今回の『明日への扉』では、本土復帰50年を迎えるにあたって、歴史に翻弄されながらも島の宝を守り抜いた誇り高き職人たちの物語と、その技を受け継いで今も沖縄の心を紡ぎ続ける若者たちを紹介している。

* * *

沖縄はかつて「琉球」という王国だった。15世紀初めから450年もの間栄華を極め、中国やアジアの影響を受けて独自の文化を育んできた。

その文化や政治の中心にあったのが首里城だったが、2019年10月31日未明に火災が発生。琉球王国のシンボルは一夜にして焼失してしまった。首里城が炎に包まれている様子をテレビで見て、ショックを受けた人も多かったのではないだろうか。

喜ばしいことに、いま首里城は着々と再建の道を歩み進めている。2026年には完成が予定されており、ふたたび真紅に輝く首里城が私たちの前に姿を現す日もそう遠くはない。



この首里城のように、かつて消滅の危機から復興を遂げた沖縄の伝統工芸品がある。

ひとつは「琉球びんがた」。もともとは琉球王国の王族しか身にまとうことが許されず、世界でもっとも美しい民族衣装とも称される。



王家お抱えのびんがた三宗家のひとつ、知念家の流れを汲む家に生まれた知念紅型研究所の当主・知念冬馬さんは、祖父の知念貞男さんに師事した。貞男さんは、かつて消滅の危機に瀕していた戦後の琉球びんがたを復興に導いた職人のひとりだった。

沖縄戦では、琉球びんがたをつくっていた工房も、型紙も、道具も、着物も、すべてが失われてしまった。そんな時、貞男さんたちは焦土に立ち上がり、琉球びんがたの復興のために尽力したそうだ。戦後の琉球びんがたは、「沖縄を取り戻すための色であり、柄であり、作業そのものだったのかと思います」と冬馬さんは語る。



もうひとつ、沖縄を象徴する工芸品がシーサーだ。

「シーサー」は琉球のことばで「獅子」を意味する。雄と雌の一対となっていることが多く、右側で口を開けているのが雄、そして左側で口を閉じているのが雌。雄は開いた口から福を吸いこみ、雌はその福をため込むという。さらに、シーサーたちの間には結界が張られ、侵入してこようとする沖縄の魔物「マジムン」を追い払うと信じられている。

島の守り神であるシーサーは、戦後の復興のきっかけともなったそうだ。奇跡的に戦火を免れた窯を使い、陶工たちは人々のためにやちむん(焼き物)やシーサーを作った。

代々シーサーを作ってきた窯元・やちむん家のシーサー職人、新垣優人さんは、「一体一体に魔除けの意味を込めている」と語ってくれた。

「それが広がれば、世界の人が幸せになるんじゃないかと。幸せのお手伝いをできればいいなと思っています。」


続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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Text by Discovery編集部


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