【明日への扉】東京額縁 額縁職人 〜 時のうつろいを宿して 〜
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東京都の伝統工芸として明治時代から作られ続けている「東京額縁」。木材や金属などの素材を使い、簡素なものから美しく豪華な装飾まで実に多彩だ。
額縁の始まりは中世ヨーロッパの初頭ごろ。信仰を広めるため、聖書の説話を描いた祭壇画の枠としての役割を担った。やがて額縁は絵画を美しく見せるために不可欠な存在となった。
日本には西洋画とともに入ってきた額縁を、家具を作る指物師、そして屏風を作る表具師たちが分業で製作。日本人が描く洋画が広まるにつれ、額縁の需要が高まり、額縁職人が東京で誕生した。
職人たちは、西洋の額縁の複雑な装飾を直接彫るのではなく、木型と日本の伝統素材を用いて量産することを考案した。できた装飾は飾り型と呼ばれ、東京額縁の一番の特徴とされている。
隅田川のほど近くにある東京額縁の工房、「富士製額(ふじせいがく)」。創業は1947年だ。木枠の加工から装飾、額装まで、職人たちが分業で額縁作りを行っている。
ここに額縁の持つ奥深い魅力に心惹かれ、匠を目指す職人がいる。額縁職人、栗原大地(くりはら・だいち)さん。
職人になって今年で16年目の栗原さんが学生時代に学んでいたのは、額縁とは全く無縁の服作り。服飾デザイナーを目指していたものの、不況で就職先が決まらなかった。
それでも「何か作りたかった」という栗原さん。どうしようかと思っていた時に「額縁を作っている会社があるから見に行ってみたら」と背中を押されたという。そこで見た景色に感動し、「お願いして入れてもらった」そうだ。
その時、仕事をしていたのが師匠の福徳寿男(ふくとく・としお)さんだった。富士製額に入社後は、積極的に師匠から額縁づくりを学んだ。
「僕、結構ズカズカ言ってくるタイプだったらしいんですよ」と栗原さんは明かす。
「できもしないのに『何かやらせてくれ』とか『箔押しやらせてほしい』とか。ただ、その気概を買ってくれていたみたいで、失敗するのを前提でやらせてくれましたね。本当に良い方と僕は巡り合えたし、本当に良い方に育てていただいたなって思っています」。
しかし昨年、師匠が病気で引退。今、栗原さんは師匠の分まで仕事に汗を流す。
そんな栗原さんを、富士製額の社長・吉田一司さんは「自分の考えをしっかりと発言できる新しい職人像」と評価し、頼もしく思っているという。
工房に新たな額縁製作の依頼があった。日本を代表する画家・岡本太郎のリトグラフ「風」。およそ50年前の作品だ。
栗原さんたちが大切にするのは、「どうすれば作品がより魅力的になるのか」。
はたして、どのような額縁が仕上がるのか。
続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。
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ディスカバリーチャンネルにて毎月第3木曜日 19:30~20:00、再放送は翌々週の日曜日 08:30~09:00に放送中
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Text by Discovery編集部