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【明日への扉】南部杜氏 〜 復活蔵からの挑戦 〜

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古来より年中行事や祝いの場で飲まれ、神への供物として欠かせない日本酒。

 

その造り方は世界でも類を見ない日本特有のもので、伝統と文化に根ざした芸術品と表現されることもある。



現在、日本酒を醸造する酒蔵の数はおよそ1200。それぞれの地域の風土や食文化にあった個性豊かな酒が作られている。

 

岩手県・盛岡市にある「赤武酒造(あかぶしゅぞう)」で人気を博すのは、赤い兜のラベルが目を引く「AKABU」だ。



赤武酒造の酒に惚れ込み、店でも提供している居酒屋の店主は「彼しか出せない香りと最後に残る余韻、これがなんともいえなく素晴らしい」と絶賛する。

 

その酒の造り手である若き南部杜氏(なんぶとうじ)が、古舘龍之介さん、31歳だ。

 


南部杜氏とは、江戸時代、岩手県で誕生した杜氏集団のことだ。酒造りが盛んだった滋賀県の近江からやってきた商人が、この地で初めて清酒造りに成功。その後、藩主に献上されるまでなり、酒造りの技術が発展した。

 

南部杜氏は兵庫の丹波杜氏、新潟の越後杜氏とともに日本三大杜氏に数えられ、最大の杜氏集団だ。

 

龍之介さんが杜氏をつとめる赤武酒造は、明治29年に創業した老舗の酒蔵だ。元々、岩手県沿岸の大槌町に蔵を構え、「浜娘」という地酒が地元の人々に愛されていた。

 

ところが、東日本大震災により大槌町は津波に吞み込まれ、赤武酒造の蔵は全壊。酒を仕込むタンクは倒壊し、全ての道具、人々に届けるはずの酒も失われてしまった。



当時酒造りの指揮をとっていた龍之介さんの父、秀峰(ひでみね)さんは、震災直後の様子をこう振り返る。

 

「あれだけやられちゃったんで、どうしようもなかったんですね。失ったものをこれから補填していかなきゃないっていう状況の中で、ああ、俺はどうやって生きていこうかなと、正直思いました」

 

震災当時、龍之介さんは東京の大学1年生だった。蔵が壊滅的な被害を受けたのを知り、大学を中退して父と共に酒蔵を復興させようと、故郷に帰ることを決めた。しかし、そんな龍之介さんに父は「戻らなくても良いと、しっかり卒業して」と伝えたという。

 

龍之介さんは、大学を卒業するという約束を父と交わした。一方、秀峰さんは盛岡の親戚を訪ね、家族と共に避難。そして一時は蔵の廃業まで決意した。しかしそのことを盛岡の取引先に伝えようとした時、こんな言葉をかけられたという。

 

「もう一度やる気があるなら応援するよ!」

 

もう一度、旨い酒を届けたい。一度は消えかけた酒造りの情熱が湧き上がった。それからは蔵の存続のため奔走し、震災から2年後に蔵を再建した。蔵の名前は「復活蔵」とした。


翌年、大学を卒業した龍之介さんは、父のもとで酒造りをするために盛岡の地へ。旨い酒を作るために毎日がむしゃらに働き、技術を磨き続けた。

 

しかし、酒造りは甘くはなかった。1年目の県の鑑評会では20蔵中最下位……。

 

「初年度はあまり自分の思った通りにはいかなかった。やっぱり、酒造りってすごく難しいんだなっていうのはそこで感じました」と龍之介さんは話す。



ゼロからの酒造り。新たに生まれた「AKABU」のラベルに込められた想い──。

 

これは、震災を乗り越え、人々に愛される酒をもう一度造りたいと、日本酒造りに情熱を注ぐ若い杜氏の物語だ。

 

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。

 

 

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ディスカバリーチャンネルにて毎月第3木曜日 19:30~20:00、再放送は翌々週の日曜日 08:30~09:00に放送中

 

 

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Text by Discovery編集部

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