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【明日への扉】博多張子職人 〜 後世につなぐ縁起物 〜

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福岡県福岡市で江戸時代から伝えられてきたとされる、博多張子。

張子とは、木や粘土で作った型に紙を張りつけ、 乾いてから型を抜き取る造形技法だ。その製法は室町時代に中国から伝来し、京都や大阪で発展した。その後、江戸時代中期に関西の人形師が博多に張子を伝えたとされている。



縁起物として重宝されてきた博多張子は、博多の人々の生活に根付いている。

例えば、老舗の料亭には「福笹(ふくざさ)」という巨大な張子が飾られている。福を呼ぶ商売繁盛のお守りだ。

また、鎌倉時代からこの地を見守ってきたお寺には、50年以上前に作られた博多張子のだるまが檀家さんを迎える。博多張子のだるまの特徴は、胴体の松竹梅と金粉を散らした模様、目が入った勇ましい顔、そして鉢巻だ。

江戸時代以降には、国指定重要無形民俗文化財「博多松囃子」(はかたまつばやし)で張子の鯛が用いられるようになった。



この博多松囃子に欠かせない張子の鯛を作っているのが、若き博多張子職人、三浦智子(みうらともこ)さんだ。



智子さんの師匠は、義理の父でもある三浦隆(たかし)さん。

隆さんの代表作は、端午の節句で贈り物とされてきた虎だ。平成10年には年賀郵便切手の絵柄としても採用された。

「千里行って千里帰る」と言われる虎。虎のように逞しく育つよう、縁起物として京都・大阪付近で始まり、西日本に普及した。



このように祭りや節句などで用いられてきた博多張子だが、専業で生活することは難しく、女性の内職仕事として技が受け継がれてきた。隆さんは会社勤めをしながら手伝いをしていたが、母親が亡くなる前に早期退職し、張子づくりに専念した。



12年前、師匠である隆さんの次男と結婚した智子さんは、後を継ぐことなど全く考えていなかった。転機となったのは3年前、義理の母からかかってきた一本の電話だったという。

夫婦で守っていた博多張子が、いよいよ自分の代で終わる──。隆さんはそう覚悟を決めていた。だが、隆さんから廃業の意志を聞いていた智子さんは、まずは手伝いに入ることにした。

智子さんは美術経験が全くなかったが自分からどんどん積極的に学んでいき、張子作りの技術を身につけていった。



多くの人を笑顔にしてきた縁起物である博多張子。人々を幸せにするため、そして先代の思いと技術を守りたいという一心で、智子さんは博多張子の技を受け継ぐ決意をした。

そんな智子さんについて、「本人には言っていないですけど、嬉しいですよね」と隆さんは目を細めて語ってくれた。

現在博多張子作りをしているのは、三浦家含めて2軒のみだ。 



今回は、依頼があった特注だるまの制作のほか、張子の虎の制作やワークショップの様子など、人々に幸運と笑顔を届ける伝統工芸品作りの現場に密着した。


続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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Text by Discovery編集部

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