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【明日への扉】赤膚焼 陶芸作家 〜 うつわに映える「あをによし」〜

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あをによし 奈良の都は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり 
 
奈良の都は、まるで花が咲き乱れるように盛んだ————。そんな様子をうたった一節が、奈良時代に編纂された「万葉集」に収められている。 

冒頭の「あをによし」は奈良を表す枕詞で、実に多くの意味を含む言葉とされているが、一説では「奈良の良質な土」を指しているとも言われている。 

そんな良質な土に恵まれた土地、奈良で受け継がれてきた焼き物が、「赤膚焼(あかはだやき)」だ。



その名前の由来は、土の色にある。赤膚焼は元々、奈良市にある「赤膚山」の土を使って作られていた。赤みがあり、人の肌の色と似ていたことから「赤膚」の名がついたと言われている。 
 
赤膚焼の名が歴史に登場したのは440年前の戦国時代だ。大和郡山の城主で豊臣秀吉の弟・秀長が、尾張国の常滑から陶工を招き、窯を築いたのが赤膚焼の始まりとされる。 
 
その後、赤膚焼は秀吉や家康に仕えた大名茶人、小堀遠州(こぼりえんしゅう)が指導した「遠州七窯」の一つに数えられ、多くの茶人を魅了する焼き物になった。 
 
赤膚焼は赤みを帯びた土のほかにも乳白色で美しい萩釉、そして「奈良絵」と呼ばれる絵付けが特徴だが、作り手によってその解釈や作風は異なり、今では窯元や作家たちが多種多様な赤膚焼を生み出している。 
 
そんな赤膚焼の伝統を受け継ぎ、自らの作風を広げるべく修行を重ねる姉妹がいる。



赤膚焼 陶芸作家、大塩まなさん、26歳。



そして、同じく赤膚焼 陶芸作家の大塩ほさなさん、28歳。 
 
主に成形を行うのが妹のまなさん、そして絵付けを行うのが姉のほさなさんだ。父が開いた窯元で研鑽を積み、独自の赤膚焼を生み出そうと日々切磋琢磨している。 



姉妹の父であり、師匠でもある大塩正(おおしおただし)さんは、「今までずっと成形と絵付けを一人でやってきたから、すごくありがたい」と話す。
 
実は、幼い頃の姉妹は、陶芸にはあまり関心がなかったという。 
 
しかし美術には関心があったため、共に高校の美術科を卒業。その後、妹のまなさんは短大の講師を務める父・正さんの元で初めて本格的に陶芸を学んだ。一方、姉のほさなさんは短大卒業後、京都市産業技術研究所で絵付けを学んだ。



今回、そんな大塩姉妹が手がけるのは「旅茶碗」。

旅が流行った江戸時代に、旅先でも茶が楽しめるように作られた。抹茶椀よりも小ぶりで、重ねて持ち運びできるのが特徴だ。茶道の陶器としてはもちろん、普段使いにも使えて、大塩正窯一番の人気があるうつわだ。

旅茶碗に描かれている奈良絵は、奈良の歴史と風土、そして人々の営みを写している。優しく温かみのある器は、その昔、旅人の疲れを癒してきた。 
 
大塩姉妹が製作するのは伝統的な作品だけではない。 
 
まなさんが目指すのは、伝統技能と赤膚焼の未来が交差する新たな作品だ。「伝統は伝統の感じで良いし、作家性のあるものは作家性のあるもので一生懸命やっていったら、いつかどこかで融合してすごいのが生まれたりするんじゃないか」と話す。

そして姉のほさなさんは、絵付けだけでなく「作るのも、手捻りとかタタラ技法が多いので、ろくろ成形もこれから先作っていけるようになりたい」と新たな表現で作品に命を与えることに意欲的だ。

お互い刺激をし合いながら、それぞれが新たな赤膚焼の未来を描く大塩姉妹。

伝統という土台の上に、赤膚焼の新しい姿を追い求める彼女たちを追った。 

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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ディスカバリーチャンネルにて毎月第3木曜日 19:30~20:00、再放送は翌々週の日曜日 08:30~09:00に放送中


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Text by Discovery編集部

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