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【明日への扉】南関素麺職人 〜 祖母の技と想いを未来へ紡ぐ 〜

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歯切れのいいコシと、ツルツルとしたのど越しがたまらない素麺。およそ1200年の歴史をもつ日本最古の麺だ。



その製法は、すでに鎌倉時代ごろには確立していたといわれる。

元々宮廷料理だった素麺が庶民に広まったのは、江戸時代中頃だという。当時の素麺は、なんと長さが2メートルもあったそうだ。 



福岡との県境、山々に抱かれた熊本県南関町は、江戸時代から続く「素麺の里」。機械を一切使わずに、手打ち・手延べで作られている南関素麺は、生産量がごく限られているため「幻の素麺」と呼ばれる。

現在も10軒の製麺所が、昔ながらの手作業で伝統の味を守り続けている。
そのひとつ、創業およそ300年の猿渡製麺所に、先人の技と想いを紡ぐ若者がいる。



南関素麺職人 師富慶太朗(もろどみ けいたろう)さん 37歳。 

慶太朗さんは、製麺所の10代目として代々受け継がれた製法を守り、素麺を作っている。南関素麺の代名詞である「曲げ素麺」は、その形がちょんまげに見えることからその名が付いたとも言われるそうだ。



そして、屋号でもある「雪の糸素麺」の細さは、針穴も簡単に通るほど。
一般的な素麺と比べても細さが際立つ。

そんな雪の糸素麺の名人といわれたのが慶太朗さんの師匠であり、祖母である井形朝香(いがた あさか)さんだ。



「すごくきれいなお素麺で。祖母の作ったお素麺にはやっぱりなかなか追いつけないなあと思います」と慶太朗さんは話す。
「『お客さんに食べていただくものだから、恥ずかしくないような、満足していただけるような素麺を作りなさい』。そのようなことを言われてきました。ちゃんと追いついていけるように、日々努力をしないといけないなと思います」。



そんな慶太朗さんの幼い頃からの夢は、「おばあちゃんのような素麺を作る」ことだったそうだ。社会勉強のためと一度は就職したが、30歳の時に祖母、朝香さんに弟子入りした。 

しかし、修業を始めて1年が過ぎたころ、朝香さんが余命宣告を受けた。それからも朝香さんは命を削りながら慶太朗さんに技術を伝えた。 
 
「祖母の覚悟みたいなもの感じ取れましたし、病気している体だったけれども一生懸命に教えてくれました」と慶太朗さんは当時のことを振り返る。
 
あるとき、病床に伏せる朝香さんから慶太朗さんに「素麺が食べたい」との連絡が入ったそうだ。
 
「私が一人で一から作ったお素麺を持って行ったんですけど、食べて『美味しい』って言ってくれてですね。ひとつ、これで認めてもらえたのかなっていう気持ちになりました」と慶太朗さん。
 
それからまもなくして、朝香さんは息を引き取った。 
 
慶太朗さんは、「技術を伝えることができて、安心して逝けたんじゃないか」と思ったそうだ。



また、「今私がこうやって南関素麺作りをできているのも、繋げてきてくれた先祖のおかげです。南関町のこの気候だったりとか、あとは水ですね。やっぱりこういったものがないと南関素麺が作れないと思っています」とも。

「とても楽しいというか。面白い仕事なので、繋げてきてくれた先祖にはこれを残してくれたことに本当に感謝しています」。

技は祖母の手から孫の手へ。 

慶太朗さんは祖母が遺してくれた素麺を作る。祖母の想いを紡いで。 


続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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Text by Discovery編集部

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