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【明日への扉】あざやかな染色技術に込められた沖縄の心~焦土に咲いた華・琉球びんがた~

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消滅の危機を乗り越えて、あざやかな復興を果たした染物がある。


美ら海(ちゅらうみ)の青、太陽の黄、百花繚乱の紅や紫…、沖縄の豊かな自然をそのままに写し出した「琉球びんがた」。



その起源は15世紀にさかのぼる。かつての琉球王国が栄華を極めた時代、中国・日本・東南アジアとの交易は島に多様な染色技法をもたらした。それらが融合し、長い時間をかけて琉球独自の色柄に発達したのが今日の「琉球びんがた」。もともとは琉球王国の王族しか身にまとうことが許されなかったため、世界でもっとも美しい民族衣装とも称される。


琉球びんがたの特徴はなんといっても南国の陽射しにも負けないあざやかな色彩だ。ただ、「ひたすら派手ではない雰囲気を出すのがとても大事であり、沖縄らしさでもある」と語るのは、知念紅型研究所の当主・知念冬馬さん(31)。


王家お抱えのびんがた三宗家の流れを汲む家に生まれ、幼い頃から工房の仕事を手伝った。10代後半からグラフィックデザインを学ぶために沖縄を離れた冬馬さんは、遠いイタリアの地で大切なことに気づいたという。

「俯瞰して見たときに、沖縄という小さい国に、ものすごい技術があるのだと再確認し、これは継がなければいけないと思いました」



冬馬さんは島に戻り、祖父である知念貞男さんに師事。伝統的技術を身につけ、22歳で知念家十代目(びんがた七代目)として貞男さんの工房、そして貞男さんがびんがたに込めた情熱を継承した。


貞男さんは、かつて消滅の危機に瀕していた戦後の琉球びんがたを復興に導いた職人のひとりだ。


太平洋戦争末期、沖縄は住民を巻き込んだ激しい地上戦の舞台となり、街も首里城も壊滅的な被害を受けた。琉球びんがたをつくっていた工房も、型紙も、道具も、着物も、すべてが失われてしまった。


そんな絶望の中、戦後の職人たちは焦土に立ち上がり、琉球びんがたの復興のために尽力したのだ。


戦後の琉球びんがたは、「沖縄を取り戻すための色であり、柄であり、作業そのものだったのかと思います」と冬馬さんは語る。


奇しくも、今回の取材は首里城焼失という深い悲しみの中で行われた。


首里城がなくなってしまっても、びんがたのあざやかな色や柄は今日も沖縄の空の下で輝き、沖縄の人を勇気づけている。


「びんがた=沖縄の人の魂だと思っています」、そう冬馬さんは言う。



まるで焦土に種が芽吹き、緑が萌え、やがて開花するように、琉球びんがたは戦火をかいくぐって華麗な花を咲かせ、沖縄の心を受け継いだ。


そしていつの日か首里城もまた復興され、その荘厳な姿を前に美しいびんがたの着物がはためく日がきっと来るだろう。
 

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。

 

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Text by Discovery編集部

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